2006年08月27日

NHK杯2回戦第3局 ▲王銘ワン九段対溝上知親八段 白中押し勝 2006.8.27OA








 解説:マイケル・レドモンド九段
 □白4は最近珍しい形。この一手がこの碁の骨格を決めた、と言っても過言ではない。
 □というのは、黒1が右上隅小目か星、白2手目が左上星か小目(ただしD-17に限り、C-16は無い。それは黒3にカカられて碁はオワ。参考図A、B、Cである)というのが、近代碁の常識。
 □ただし、黒1が星の場合、白2は左下もありうる。大場としての比重が、対抗軸の左上と対抗隅の左下でぴったりセイムなのである。
 □そして、白2が星ならば、黒3でひとつだけケイマにカカって相手の受け方を問うて次の手を決めるというのは最近頻出の趣向。
 □白4の一間受けは最近珍しい。
 □近年は星にケイマガカリされたらケイマに受けるのがほぼ100%になっているが、これは1980年年代当時のトッププロであった趙治勲が打ち出して一世を風靡して現在に至っている、比較的新しい打ち方である。
 昭和55年24歳で名人になった趙は「趙治勲青春指導碁」として全国を回り、中学生などと指導碁を打っていた。置き碁において、黒の星へ白がケイマガカリした時は大ケイマに受けるべしというのが戦前の定石であった。それが星打ちが互い先の碁にも頻繁に登場するようになった「新布石」の頃からか、位を重んじて四線に一間に受ける打ち方が奨励されるようになってきた。置き碁といえども初手(ハナ)から守り一辺倒の受け身になる大ケイマでなく、互い先の感覚で“対等の立場”で戦ってみることが、すなわち強くなるためには必要という発想である。しかし、置き碁であるならば、力の差はあるわけで、そこでまっこうから四つに組んで戦いを挑むということは、いきなりの戦いとなってそこでばっさりやられてしまう可能性も高い、ということでもある。
 そこで、ケイマカカリに対してはいきなりがっぷり四つに組むのでもなく、かといって卑屈に大ケイマなどと守り一辺倒に受けるのでもなく、その中間点であるケイマに受けていったんは守りについたと見せかけて実は反撃をも睨んでいるのが、バランスもよくよろしかろう、という提案をしたのである。
 ところが、そこが趙治勲の真摯なところであるが、「アマチュアの碁で真理であるやり方ならば、それは普遍的ということであり、プロの碁でも通用しない訳がない」ということで、星の石へのケイマカカリに対して小ゲイマにしまるということを自分の実戦にも取り入れてみた。まあ、トップ棋士というのはどのように打ってももともと強いのであるからそれで勝ってしまうわけで、となると逆に小ゲイマシマリは“トップ棋士の趙治勲が愛用して勝率もよい手”ということで、プロの間で研究もされ流行することになる。それが現在まで続いているというか、今日の中国、韓国の世界トップレベルの発想にもつながっているということである。
 いわば、小ゲイマシマリは“どのように打っても勝てる、したがって××流という特定の打ち方をしなかった”棋士趙治勲が編み出した数少ない“趙治勲流”の一手なのである。それは星にケイマガカリして小ケイマされた時、隅へのケイマスベリ(ふつうは先手)を保留して<単に>二間に開くというコペルニクス的発想“小林流”へと進化していった、というのも昭和後期囲碁史の不思議さ面白さであろう。
 □だから、白4の一間は歴史を20年遡らせたやや旧式の発想であり、黒の利かしたつもりの黒3小ケイマを正面から迎え打ち、戦おうという果敢な戦法である。しかし、「ものごとは全て裏表がある」わけで、黒からはC-8のケイマが白のスソ空きを狙った攻撃の急所になっている。
 □したがって黒5以降、この碁は他の大場よりも、どちらが先に左下に手を回して攻勢に立つかが全局の帰趨を占う一大焦点になってくるのである。
 □したがって、黒5、白6と大場を一手ずつ占めあった後、黒は7と念願の左下スベリの急場に回ったわけである。
 □ところが、白8で左下を受けるのは“利かされ”になるとみるのが、プロならではの独特の感覚である。左下は参考図Dと黒を隅に閉じ込める手段もあり、また平易に参考図Eと三々と辺を交換する方法も残されていて、あわてて三々に受ける必要もないというのが趙-小林の時代よりも更に進化した現代碁である。
 とにかく現代碁は“なるべく決めてしまわないで、いろんな含みをのこして打つ”のが流儀だ。だから、やけに手抜きが多い、のが特徴だ。
 □というわけで黒7には手抜きで白8のカカリ。
 □黒9の厳しいハサミ(手抜きにはE-16ツケがピッタリで厳しすぎる)には流石に手抜きはできず、白10。
 □黒11の二間は穏やかな受け。ゆっくり打つことで@少しでも(D-14のケイマ受けと比較して)左下方面へ石を進めることで、(例の懸案の)左下C-8への黒のケイマガカリの左下白への迫力を増したいし、A逆に忙しく打って参考図Fという白の好形を許したくない、という二重の意図(いずれにせよ、<左下黒7のケイマスベリ-白手抜き>による白の嫌味を意識している)がある。
 □となると、盤中これといった急場は消えておちついた先の長そうな碁となり、僅か17手にしてこの碁は持久戦模様となった。
 □なもんで、白18は盤中最大にして最後の大場。大袈裟ではなく、これよりヨセである。中抜きのイキナリの終盤戦突入である。
 □黒19〜25はナチュラルなヨセの流れ。ただし後手。
 □こうなると、いったんはその価値が落ちていた左辺もヨセとしては急場化してくる。で、白26はヨセとしてはいっぱいに頑張った手。32までとなれば白厚く、左辺から上辺にかけて白の模様らしきものが生じてきて、下辺の黒の勢力との対抗馬にのし上がってきた。
 □つまり、ここにきて碁は中盤戦に逆戻りしてきた。
 □黒は落ち着いて33ケイマと、一歩ずつ慎重に下辺の黒模様を拡大する。
 □白34シマリは30目の価値はあろうかという“ヨセ”の大場。
 □つまり、この段階で、黒は模様の張り合いという中盤戦作戦を志向するのに対し、白は「模様の張り合いという挑発には乗りませんよ。」「下辺の模様は三手連続して打っても地にはなりませんよ。」「したがって、今は(模様の張り合いという)<中盤戦>ではなく<ヨセ>の時代ですよ」と主張している。
 □この「黒=中盤戦」VS「白=ヨセ」いずれの考え方が正しいのだろうか?
 □上記の問題の正解は「白=ヨセ」。白番溝上の言い分が正しかった。
 □というのは、黒33、35、37と三手かけてもここは黒地にならず、白60の時限爆弾が炸裂(下辺の黒模様の中で白は堂々と生きてしまい、黒模様は吹っ飛んだ)したからである。
 □黒番王銘エンの黒37は工夫した手である。参考図Gと囲えば固いが、これでは黒地は少なく、地合いでは白良しなので、黒勝てない。それで、37と大きく構えてみたものの、(白38と悠々と受けられ、黒39〜59と忙しく立ち働いてはみたが)結局白60に回られて、ここ黒の金殿玉地宝庫を正面突破されては、黒の言う中盤戦=「模様の張り合い」構想は哀れ、玉砕してしまったのだった。
 □おしまい。
 
 参考図A 黒1右上小目、白2向い小目は黒3と先にカカられて白悪い






 「黒1右上小目、白2向い小目(本来は“相小目アイコモク”というべきもの)は黒3と先にカカられて白悪い」が古来の教えであった。すなわち、白4と同形にカカると、黒5と絶好の形にハサまれる。これでは上辺は黒が強い(生きている=根拠がある=攻められない)石が2グループ、対白が弱い(生きていない=根拠がない=攻められる一方)石が2グループということで、白絶対不利(従って白4は悪手。しかし白4そのものは部分的には妥当な手であるから、盤全体で考察すると、さかのぼっての白2向い子目が悪手である、という考え方)とされていた。
 これが信長、秀吉、家康と三代の天下人に仕えた日蓮宗僧侶日海=初代本因坊算砂以降300年の日本囲碁の打ち立てた囲碁理論=布石論の根本原理である。それは一手の価値の比較原則「1隅(ただし、小目のみ)、2シマリ、3カカリ」とあいまって、“序盤はどこに転がしても一局は一局”という(それは論理的=具体的にその非を証明できない以上、それ自体は今なお通じる真理、少なくとも絶対真理を打ち立てる前提としてのテーゼではあるのだが)、いってみれば勝負なんてサイコロをふるのと同じ、[(碁は)運の芸](“耳赤の手”で秀策に敗れた井上幻庵因碩がその著書『囲碁妙伝』で書いた有名なセリフ)論をきっぱりと否定し、論理的思考の積み重ねの上に囲碁の必勝法を構築せんとした日本人の智恵である。その精華がその因碩に“耳赤の手”で勝ち、少なくとも黒番ならば先手必勝の<秀策流>を創出、実証し、お城碁19連勝無敗の大記録を打ち立てて碁聖(道策を前聖、秀策を後聖と称する場合もある)と呼ばれた本因坊秀策である。(余談であるが、その秀策の碁を研究し、「私は一生かかっても秀策には勝てない」といったのが李昌鎬であるから、日本人はその囲碁理論にもっと自信をもって良い、と思うのだが...)

 ところが、それを承知でこのように打った例もないではない。それが、この昭和25年第5期本因坊戦挑戦手合第3局、(白)橋本宇太郎-(黒)岩本薫本因坊である。
黒3に白4と同型にカカり、あえて黒5の好形を許した例である。黒21のカケに、白は24以下28と三子にして捨てる策に出た。黒33と打った手が珍しく、白34以下面白い変化となった。白46とサバいては白は実利で先行して危ないところはなく、全局的に走っている。いかにも“天才”宇太郎らしい、策に富んだ打ち方ではある。

 また、現代では参考図Bのように、白4と高くカカるなど、カカりに変化を持たせる工夫があり、その教えにはこだわらないのが普通である。

 つまり、現代碁では向い小目を打つについては、かなり自由な考え方にたっているといえよう。(『基本布石事典』林海峰著 1978)

 参考図B 白4一間高ガカリ






 当節は向かい小目でも、白4の一間の高いカカリという現代的な手法があって、白の向い小目がいちがいに悪いとは言えなくなってきている。
 その典型がこれである。
 これは昭和41年(1966、といえばビートルズ来日の年だ。う〜む、あれからもう40年になるのか)第5期名人戦第1局(白)林海峰名人-(黒)坂田栄男本因坊という歴史的一局である。“アンシャンレジームの権化”坂田の旧戦法に対し、“戦争を知らない”“遅れてきた青年”林が新戦法で挑んだ一戦である。右上は部分的には黒良しとされるが、先手を取った白が20のコスミに回り(途中、例えば黒7で20のカケが先手で成立すればトータルで黒良し、なのだがそのヒマはないらしい=黒模様がスカスカになる)以下黒33まで怒涛の如く左辺を“大もの”にすれば、上辺の黒地は厚みと厚みがかぶったコリ形でしかなく、続いて白34〜黒49とこれまた先手で右下を決めつけ、とって返して左下を50、50と構えれば、白あっという間に必勝形である。

 参考図C 黒1右上星、白2向い小目は黒3一間高ガカリで黒優勢






 黒3以下左上隅が互角の形勢で治まると、以下は隅>シマリ>カカリの法則(序盤は左に示した>の順で価値が高い)に従って行けば二隅が空いていて交互にそこを打ち、以下相互に見合いの大場を打ち合っていけば、最初に右上に打った星(しかも左上の三間ビラキの勢力との間合いが絶好)の威力がいつまでも残っていて、先着の黒有利の形勢はコミ6目半を補っても余りある。

 参考図D ハサミから黒を隅に閉じ込める






 右下の打ち方次第では、このように一間バサミから黒を隅に閉じ込める方法もある。

 参考図E 黒7には手抜き






 黒7には手抜きをして他の大場を打ち、黒9と三々にコスまれても、白10と辺を二間に開いていてよろしい、という発想もある。

 参考図F 黒11でケイマは、白を厚くさせて不可






 黒11とケイマすると白12〜黒17を先手で利かされ、白18〜22と幸便に黒を封鎖して、左下白への黒ケイマガカリの狙いは消えている。

 参考図G 黒37で囲っても、この地では勝てない






 黒37は左右対称の中央という好点ではあるが、いかんせんこのラインで下辺の黒地をまとめるのではモノが小さい。黒は下辺の一箇地にたいし、白は右辺、左辺、それに上辺にしっかりとした地があり、大差で白良し、と言わねばならぬ。


posted by 蔵山車理恵蔵 at 15:20| Comment(0) | TrackBack(1) | 囲碁 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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